真夜中のなか[平成版]第一回
はじめましてアンタッチャブルの野本です
 はじめましてアンタッチャブルの野本です。 最近パソコンをはじめた私が最初にインターネットしたのが「南海ホークス」の検索でした。 こんなんで情報がホンマに出てくるのかと何も知らない私は不安ながらクリックすると・・・・・・ 出るわ出るわそのなかのお気に入りが「鷹の爪」でした。
 「鷹の爪」3周年 おめでとう・・・じゃないな
 「鷹の爪」3周年 ありがとう・・・・やろな
そんなんで2年9ヶ月分は私知らなかったんですが このH.Pの中に私達(アンタッチャブル)が以前コロムビアレコードから発売した 「南海ファンやもん」etcのことが書かれてあり,我々が行方不明になってたりして 思わず笑ってしまったわけです。(ワシラはずっと歌ってるぞ・・・・) ダイエーに身売りされて10余年,いまだに南海ホークスについて語り合ったり当時の情報が 手に取るように分かったりして・・・スタッフの皆さんの熱意に脱帽するばかりでした。

 去年の10月18日に大阪球場最後のイベントで私は「南海ファンやもん」を歌いました。 翌日から解体作業が始まりました。難波で仕事をしている私は毎朝晩消えて行く大阪球場を眺めながら通勤してます。 昭和63年南海ホークスが身売りされてから私達は余り頻繁に「南海ファンやもん」を歌ってなかった無かったように思います。 いつからか・・ 解体が発表されてからか・・何年か前からはよく歌います。 それは多分自分の中に「5年、10年経って大阪球場の形跡が全く無くなってほかの建物が建ってしまったら ここに大阪球場という野球場があって南海ホークスと言うプロ野球チームがあったこ となんか過ぎ行く日々とともにみんなの記憶の中から無くなってしまうんやろなー」 たとえば野球の色々な記録をみるときにチーム名で 「松竹」「トンボ」「大映」「イーグルス」「セネタ−ズ」「洋松」「産業」etc 私は全く知らないし,今となってはあまり話題にならないそんなチームがあるのに気づきます。 「多分南海もそうなるんやろなー球場が残ってたからホークスが難波からいなくなっても ここに来たり見たりした時に誰でも南海を思い出しやすかったんや」と思ったとき 私はアンタッチャブルというバンドのLIVEやソロで歌うことで マイナーバンドで客入りは知れてますが 「南海ホークス」というチームがあったという「語り部」になることが出来るのではと考えました。 LIVEの時に歌う14〜15曲の中の1曲として我々は機嫌よく歌いお客さんも機嫌よく聴いています。 ・・・・そしてアンタッチャブルは、今日も大阪の超B級ブルーズバンドなんです。 そんな訳で私とはまた形の違う南海ホークスの「語り部」となっておられます 「鷹の爪」の発案者およびスタッフの皆様にはただただあきれるばかりです・・・最高!!!!! 鷹の爪にアクセスした素人の私はデビット氏からの3周年と言う事で何か書いてもイイよと言う 暖かい言葉に甘えて喜んでる次第です。しかしバンドマンの癖で原稿が遅れるんです・・ゴメン とくに今またレコーデングの準備に入り・・「南海ホークス」完結編5曲(南海ファンやもん)含むをヤっており・・・迷惑をかけました。 今回はひとつ 南海ファンとしてはショックでありながらちょっとホットした昔話をします。


野本有流氏と山本和範選手(野本氏の診療所にて)        南海ファンやもんの宣伝広告

  私は南海ホークスの中で山本和範選手(以下カズで・・・)が好きでした。 同い年(S32年)ということもあるのか、何かとにかく好きやったんです。・・(今考えると解るな〜) 私は歌を歌ってレコードは出したけれど、南海ファンとして選手と友達になりたくありませんでした。 選手は私にとってはスターであり、憧れであり、時には全ての怒りを込めた きついヤジをあびせかける対象です。 人情は持ちこんだろアカンのです。 その禁断のオキテを破ったのがカズでした。わたしはどうしても知りあいになりたくて、 話をしたくて当時応援会の副会長をされてました石田さん (これまたようしゃべるしゃべる・・私のやっていた番組に来てアホほどしゃべった)にお願いして会うことになりました。 その日の昼にカズは契約更改で球団ともめてナンバシティーを走り抜けると言う事が合った日で翌日新聞にも出てました。 この事にふれますと,この前年に活躍したカズがその年の契約更改で確か3000万円〔だったと思います〕 要求した時担当者が「3000万は一流選手の金額だからだめ」と 言ったそうです。そこでカズは「一流とはどういうことですか?」と聞いたらしい すると 「オールスターで活躍するのが一流」といってその年は終わったらしい。 翌昭和61年監督推薦でオールスターに選ばれたカズは、大阪球場でホームランを打ち MVPその年の更改で改めて「約束どうり3000万欲しい」と言ったカズに「そんな話は知らん」 と担当者頭に血が上ったものの記者会見などすれば何を言うか解らないので、 記者をふりきりナンバシティーを走って逃げたのです。 その夜に、興奮したカズとはじめてあったのでした。 その後は何回かLIVEに遊びに来てくれたりしますが カズは身体のコンディションを保つためシーズン中は全くと言ってイイほど飲みに出たり外出しないので シーズンオフに年に1回会う会わないしてるうちに 福岡に行ってしまったので 電話でしか話をしなくなりました。 そしてダイエーに行って何年かして会ったとき 「のもっちゃん,ダイエーはスゴイで!!毎年クリスマスパーティーがあってな、選手と家族を オーナーが招待してくれるんや、家族構成とか調べてあって、サンタクロースのカッコをしたオーナーが 家族一人一人にプレゼント渡してくれんねんで、すごいやろ!!! 俺このチームのためやったら死んでもイイと思ったわ〜」と聞きました。 私が好きだった南海ホークスの選手はダイエーに行ってはじめてプロ選手としての 扱いをされたんやな〜、末期のホークスを見て好きなチームながらも 球団のやる気の無さ〔私にはそう思えた〕に辟易としていた私は なにかホッとしたようなメチャメチャ悲しい気分がした話でした。・・・続く

のもっちゃん

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1999 ぼくた兄弟社