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先日、がっしゃんからTELがありました「サンケイ新聞の夕刊(1.13)みたで、大きい記事やったな・・・・あっ それと鷹の爪見たけど11月から変わってへんやん」「えっ がっしゃんみててくれたん」といった感じの会話がありました。この がっしゃんこと東野博昭は「南海ファンやもん」の作詩の共作者でありコント作家・アメリカ大好き野郎・作家・作詞家etc多才な男であり、古い友人です。「そうやVOL.2や 2000年になったんや」さっそくデビッド狂氏にメールしたところ快い返事でまた今年一年鷹の爪スタッフの皆さんに多大な迷惑をかけますとともにこの鷹の爪を応援しておられます皆さんよろしくタノンマス・・・・・・ そんなわけで 遅くなりましたが。 昭和62年,年が明けてちょっとしてから、昔から世話になってる毎日放送のナベさんから電話がありました。「4月から実験的な深夜放送やんねんけど喋るか?」「お願いします」。 ナベさんからの仕事は絶対イイと確信と信頼を持ってる私はいつも「お願いします」。 内容とかギャラの話を聞く前に「お願いします」・・・・その一言。 そんな関係が今でも20数年。 その深夜放送ラジオが「真夜中のなか」でした。 「何をやってもいいんですか?」目をかがやせて言う私に「たいがいはな」とナベさん。 このナベさんこと渡邊一雄プロデューサーは大阪では有名なラジオ番組「ヤングタウン」をつくった人で 私の御意見番、父親みたいに私が勝手に思ってるわけで・・・・・。 そして4月から月〜木で始まりました。 若いディレクターも育てるという目的もあったようで、出演者共みんなレギュラーははじめてで、 スタートのときのメンバーは月曜小川邦夫〔デザイナー〕、火曜桂吉朝(今、大阪では売れっこ噺家)、 水曜私、木曜松井昭憲(MBSアナウンサー)でした。一応3ヶ月で出演者が変わって行くと言う話でした。 その後1年間この番組は続きました。私は運良く1年間する事が出来ました。 そのうち木曜日はダウンタウン浜ちゃん、松ちゃん、火曜日はチロリン&がっしゃん,中村貴子もでてたな, ほかにもいろんな出演者がいました。今考えると結構スゴイメンバーが、喋ってました(私以外は)。 そんな事で生まれて30年にしてはじめてメインのレギュラーをもたしてもらいました。 私の曜日担当ディレクターは杉浦徹氏で当初は神津梓氏もADとしてついていてくれました。 そして番組が始まるまでにも何回か打ち合わせをしました。 私は以前よりひそかにもし自分がメインで番組がもてたらやってやろと思ってたことが2つありました。 1つはバンドマンとは違うもう1つの顔「鍼灸師」として「ツボ」や健康、東洋医学の事を話そう 2つめは「南海ホークス」の事を取り上げてコーナーを作って話をしようと そして打ち合わせで1つ目の鍼灸の事は「そら、のもっちゃン毎日やってる事で専門やし, 深夜聴いてる若い人でも結構興味もつんと違うか、それええとおもうわ」と杉やんOK。 そしておそるおそる「南海ホークスのコーナー作りたいねんけど・・・ナベさんも何してもええてゆうたはったし」と先に言い訳してる私。 「結構面白いンちゃう,あんまり取り上げてる人おらんし」と杉やん。 当時「ゴーゴーホークス」という短いラジオがありましたがほかに南海を取り上げた番組やタレントはあまりなかったように思います。 そうして4月から深夜1:30(やったかな)から始まりました。 「南海ホークスの応援の特徴」とか「大阪球場で食べ物を買わず、高島屋のちかでテンプラを買ってビールのアテにするのはなぜか」 といったバカバカしいものから「どうすれば大阪球場が満員になるか」とか毎回あーでもないこーでもないとやって。 ある時以前から作ってたがまだ発表してなかった「南海ファンやもん」をスタジオで幸木とシャレで演奏して「この曲どうですか?」といったらけっこうハガキをあちこちからいただきました。 覚えいるので札幌、群馬、埼玉、東京、横浜、名古屋、大分など近畿地区以外からも沢山手紙やハガキをいただきました。 1回目放送の時からそうでしたが、私の番組にくるはがきの特徴はいっしょに南海のことをワーワーやる以外に 「よくぞ南海のことを言ってくれた!よくぞホークスのことを取り上げてくれた」と言った文章が異常に多かった気がします。 「これからも続けてくれ」といったすがりつくような筆跡にリスナーの迫力を感じると共に 「阪神タイガースの番組にはこう言ったハガキはこないやろなー」と思ってしまったことでした。 「この曲エエで」「この曲面白いで」とだんだん我々もスタッフもリスナーの反響に感じ始めてました。 反響といっても1週間でハガキが15〜25枚ぐらいですもっと少ない時もあります。 となりのダウンタウンのハガキケースには300〜500ぐらいのハガキがあります。 しかし15枚のハガキがスゴイのです、熱いのです。 「これ持ってコロムビアと話しょう!」 以前名盤「オオサカンドリーム」・・現在廃盤(ほっとけ!)を発売してもらった縁で、 まだコロムビアとのバンドの契約が続行という形になってました。 東京のデレクターに連絡を取りテープを聞かせ,この曲が大阪で,ドンだけ盛り上がってるか、嘘八百並べ、ホラも大いに交えて小さい地区だけで盛り上がってるのをカバーしたわけです。 そしてコロムビアの奥天デレくターからOKサインが出ました。 が・・・・・・・そこにもう1つ問題が残ってました。 (南海ホークス)のOKです。 「野球チーム、球団はうるさいぞ〜」と聞いてました。とくに人気チームなんかは絶対アカンでいう話で、 要するに、チーム名が入ったものを商品にして売り出す場合チームのイメージを悪くするものや、 また球団の利益にならないものに関して名前を使う事にOKは出にくい、ほとんどダメ・・・・ということで、 コロムビアレコード大阪支社の部長、覚前さんが、わざわざ同行してくれ、ほかスタッフそして私、少ないハガキを手に 大阪球場に行きましたそして歌詞を見せてレコードをだすことにOKがほしい趣旨等を延々と話しました。 球団のかたは「好ましくは無いけど、決して間違った事は歌ってないので発売してかまいません。 けれど、球団としては積極的には応援できませんが・・・」という事でめでたくレコーディングに・・・。 編曲ほかすべて土井淳(あつし)に頼んでバックミュージシャンも集めてもらいました。 レコーディングの日、大阪はサンワスタジオに集まった連中は私、幸木、よっしん、のアンタッチャブルと五十川キヨシ(ドラム) 奥田さん(サックス)、福井さん(パーカッション)、十川ともじ(Key)そしてアッちゃん(編曲,Key)。 最高のレコーディングが出来ました。 レコーディングも終わりかけのころ、幸木から電話がありました。そのころ幸木は「ワイのワイの90」という MBSラジオで笑福亭鶴瓶さんのアシスタントをしており自分のパートのレコーディングを終えてすぐスタジオに走ったのでした。 電話の内容は「つるべさんが、ぎっくり腰をおこして痛がってる。このあとOBCのぬかるみの世界らしいから OBCにいって鍼したってくれへんか、本人もたのんどんねん」。 今出来あがったテープと針,もぐさを手にOBCに向かい守衛室でつるべさんに鍼灸治療してますと火災報知器のベルが 「リリリリリン〜」 ドカドカッとガードマンが守衛室に飛び込んできました。 そこには裸で腰にお灸をしてもらってるつるべさん、そのお灸の煙が吸い込まれるように 火災報知器へ・・・・・・・・ こうしてレコーディング当日にOBC「ぬかるみの世界」でオンエア−されるという笑い話になりました。 ジャケットの写真は垂水章さんといって大阪を撮りつづけてる写真家、デザインはオフィス元気。 ジャケット撮影等のオモシロ話はまた後日書きますが・・・どうにか9月1日、発売。 たまたまその日(真夜中のなか)のイベントが神戸ポートピアランドの特設ステージであってアンタッチャブルはライブ・・・、(南海ファンやもん)も歌う。 ダウンタウンは漫才、我々が歌ってる前でダウンタウンの浜ちゃんは奇声をあげて走ってました。 その9.1発売日をさかいにまた新たな笑い話が生まれる。 (続く) |