●背番号 27 吉永幸一郎
1969年5月1日生 183cm 89kg 右投左打 大阪府出身
東海大工業高校-南海-福岡ダイエー 87年ドラフト5位
(プロフィール)
 ちょっと待て。吉永が結婚していた?全く知らなかった。しかも長女が7歳とは。ということは21歳で結婚か。この頃はまだ大塚義樹おったかいな。際どいところだ。御存知の通り、彼は19歳の時田淵に4番に抜擢され一躍脚光を浴びた選手であるが、そのころ内田、吉田(博)らと正捕手争いをしていた大塚義樹(現横浜)は彼の活躍が気にくわない。ここから大塚による陰湿ないじめが始まるのだった。その詳細について、当方はよく知らないが吉永がそれで悩んで野球どころではなかったと聞くぐらいだから相当なものだったのだろう。しかし吉永を一人前にすることくらいしか生きる術がなくなった田淵は、大塚をあっさりパージし吉永をのびのびやらせた。それから現在に至るわけであるが、キャッチャーとしては一人前だったかどうかは?である。
 吉永は南海最後のドラフト5位で、この時の1位が吉田豊、2位が若井、4位が大道、そして6位が村田(現中日)であった。彼が4番を打った19歳の年、すなわち田淵1年目だが、ホークスは41勝85敗という空前の弱さを記録した。特に6月までは100敗ペースで、ホークスが9勝しかしていない時点で、斎藤雅樹が8勝していた程だった。特にオリックスにはやられたい放題で、3勝22敗1分けくらいではなかったか。マスコミにたたかれまくり、円形脱毛症になった田淵は、話題作りとばかりに吉永を4番に据えた。そして彼は規定打席未満ながら.313と高打率を残す。余談だが、田淵はこの年のオフ河村英文から「これでいいのかダイエー野球」という本を書かれていたが、お前こそこれでいいのかと言いたい、河村英文。
 とまあ、吉永の選手紹介とはかけ離れた内容になってしまったが、言うまでもないだろうこの人の場合は。「いつ見ても定常打率.289」とか「どっこいしょスローイング」、また「盗塁阻止率.198」という年もあった。打ち気満々でボール球を見送るときに、ドラさん張りのバット倒し(通には分かると思うが)が大好きだが、決して真似できない。誰か出来る人がいれば、1万円払うよ。それから結構いい場面でも打つ人で、特に95年福岡ドームのバックスクリーンに伊良部から放ったサヨナラホームランは豪快だった。
 今年はファーストにコンバートされ打撃に専念するらしいが、ある意味ではそこそこキャッチャーが出来るクリーンナップというのも捨てがたい気もする。ファーストさせるからにはやっぱ4番打たせないかんでしょう。それから気のない三振もやめなければ。田村も入ったことだし、ここはコンバートの成功を祈ろう。この前香川が言っていた。「僕もサードにコンバートされたんですが、やおいかんですよ。」お前が言うな!


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1996 ぼくた兄弟社