| 96年以前 | 局長が「ホークス強化策7箇条」を西○ポの投稿欄に投稿したが、 内容を応援メッセージに書き換えられメディア不信に。 自分でなんとか情報組織を作ろうと考え始める。 |
| 96年夏 | ぼくた兄弟社の中で辛口ホークスコーナー立ち上げの気運高まる。 |
| 96年秋 | 11月5日、「辛口鷹情報・鷹の爪」がぼくた兄弟社運営の「boctor-NET」のおまけページとしてスタートする。 スタッフは局長、jr、編集長を中心に狐の忠信、コニタン、役所の壱岐男の6人。 スーパーバイザー的役割として同社関係者のリーマン、Aも参加。 局長、jrが中心に原稿を書き、編集長が編集。様々なコンテンツが作られた。 当初のページカラーは暗いオレンジ色で、局長が指定したものだった。一時移転か何かの時のジオシティでの鷹爪。 |
| 96年冬 | デビッド狂が初めて鷹爪に一読者として投稿する。 |
| 97年初冬 | 局長がデビ狂の投稿を見て、客員スタッフとしてスカウト。 デビ狂の「デビッド狂の憂い」がスタート。
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| 97年春 |
デビ狂とミヅカミ(「南海2.02」主催)が交流開始。
ミヅカミ、南海2.02に左派系初の自由書き込み掲示板「南海掲示板」を作る。
デビ狂、ミヅカミ、デビ妻(後のSPINA)が東京ドームで初の会合(ミヅカミ遅刻)。
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| 97年秋 | 局長、リーマン、Aがデビ狂宅を訪問、デビ狂、デビ妻(SPINA)と初の顔合わせ。
これを機にデビ狂が鷹爪の企画に参加するようになり、メインスタッフとして以後活動することに。
局長とデビ狂が第一次鷹爪刷新計画を進める。
某出版社の懇意により鷹爪出版化計画が立ち上がる。 |
| 97年冬 | 局長、鷹爪からの撤退の意志を内部に伝える。存続コンテンツについて |
| 98年初冬 |
局長、突然の撤退表明。鷹爪崩壊の危機に(「第一次鷹爪崩壊危機」)。
局長、デビ狂が兵庫で8時間耐久となる2者会談を行い、
ホークスカルトクイズ解答編作成、鷹爪の存続と第二次鷹爪刷新計画の概要を確認する。
またこのときダイエー抜きでのスタッフ交流の可能性の示すことになり、鷹爪として歴史的な日ともなった。
第二次鷹爪刷新計画が始まる。
デビ狂の提案により、それぞれ方向性の異なる客員スタッフを呼ぶことになり、指名した7名ともに快諾を得る。
この7人の企画、総称を「革命の七賢」と命名。メンバーは、
ミヅカミ、横浜O、貞治やめろ(スターリン)、不知火、コリンズ、三十郎、王天上の眼鏡(おーてんじお)。
デビ妻がSPINAに改名。全スタッフに掲示板または個人コーナーを持たせ、掲示板が13個も乱立する。
貞治やめろ(スターリン)、デビ狂、SPINAが、南海2.02初の会合企画人民大会を開く(ミヅカミ遅刻)。
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| 98年春 |
鷹爪がYAHOO JAPANにホークスサイトとして唯一紹介される。
自由書き込み掲示板の否定の気運が高まり、投稿者同志の喧嘩を一切なくす目的を達成すべく、
局長、デビ狂が新型伝言板を企画。
編集長がこれを実用化させ、他ページに類を見ないネット界最強の掲示板として大成功をおさめることになる。
反体制ページでありながら読者同士の喧嘩がほぼなくなったことは特筆すべき点で、鷹爪自慢の作となる。
3月、デビ狂、SPINA、ミヅカミ、横浜Oが横浜球場のオープン戦で会合(ミヅカミ遅刻+横浜O泥酔)。
5月、デビ狂とSPINAが福岡へ。局長、jr、編集長と観戦、ホテルで初のメインスタッフ首脳会談を行う。
関東在住スタッフ全員(デビ狂、SPINA、ミヅカミ、スターリン、王天上の眼鏡)と、
王天上の眼鏡の友人で鷹爪常連投稿者でもある大りーがーうっちー氏の6名が東京ドームで観戦、飲み会を催した。
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98年夏 |
7月、革命の七賢最強のコンテンツとされる「応援歌データベース」(横浜O主催)が登場する。
関東スタッフ全員(デビ狂、SPINA、ミヅカミ、スターリン、おーてんじお、横浜O)が 横浜球場に集結(ミヅカミ遅刻+横浜O泥酔)。
8月、局長の部分撤退、デビ狂の極度の鷹爪支配体制の反省から、 鷹爪を当初の雰囲気に戻そうという「鷹爪返還計画」が始まり、
鷹爪の支柱であった伝言板を休止するという異常事態になる(「第二次鷹爪崩壊危機」)。
また辛口の鷹爪色と多方向の七賢色を分けるため、革命の七賢HPコンテンツを独立ホームページにした。
大阪球場ビアガーデンにデビ狂、デビ弟、SPINA、ミヅカミ、王天上の眼鏡が集結。
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98年秋 |
デビ狂、ミヅカミ、おーてんじお、横浜O、横浜Oの友人が西武ドームに集結(ミヅカミ遅刻)。
デーゲーム試合中止ということで中華料理食事会など、3次会まで行う。
杉浦さん大病説に鷹爪に激震走る。
大阪球場での最終イベントにデビ狂、SPINA、ミヅカミ、王天上の眼鏡が集結。
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| 98年秋 |
9月、伝言板が復活するも、デビ狂の支配体制問題は先送りとなる。
鷹爪初のチャット「辛口フォーラム」が登場し、メンバーズリスト、試合速報付きの異色のものとなる。
jrが東京へ、デビ狂宅を訪問(一泊)し、デビ狂と東京ドーム観戦する。
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| 99年初冬 |
しまじろう氏が臨時スタッフとして参加する。
局長、デビ狂が兵庫で2者会談。 鷹爪オリジナル作業着プレゼントなどの新企画、リストラ、ページ閉鎖時期などについて話し合う。
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| 99年春 |
鷹爪上で秋にホームページ閉鎖の可能性があることを一般に通知。 コンテンツのリストラを始め、トップページも簡略化する。
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| 99年初夏 |
6月、局長が鷹爪から最も遠ざかり、最後の砦となっていたデビ狂も企画更新を停止。
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| 99年夏 |
7月、局長がデビ狂に全権委譲、ページも大リストラ敢行で最小になる(「第三次鷹爪崩壊危機」)。
8月、jrが東京へ、デビ狂宅二度目の訪問(一泊)、24時間大喜利ビデオ鑑賞などで交流を深める。
jrがその帰路で兵庫の局長宅に寄り、これがきっかけで局長のバイオリズムが一気に上昇する。
旧メインスタッフの役所の壱岐男が鷹爪発足から約3年近く経って初めてページ上に現れ、参加開始。
局長が復帰し、あっと言うまに鷹爪を再建する。
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| 99年秋 |
9月、鷹爪再建から一気に3周年記念イベント計画が発動する。
アンタッチャブル野本氏から激励のメールを受ける。
10月、役所の壱岐男改め役壱が、Web上に現れ、メインスタッフに昇格、伝言板返事担当になる。
meiryu氏発案の山本和範佐々木誠両選手激励掲示板の投稿に対する感謝のメッセージが、
野本氏の仲介により山本選手本人から届き、編集部と読者が感動の渦に巻き込まれる。。
11月、鷹爪が3周年を迎える。リーマン、局長、jr、編集長が上京。
局長、jr、編集長、デビ狂、SPINAがデビ狂宅で3周年CDのレコーディング、
記念作業着の印刷実験などをこなす。またデビ狂の悲願「編集長もてなし会」が達成される。
アンタッチャブル野本氏の真夜中のなか平成版がスタートする。
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| 99年冬 |
12月、旧メインスタッフの役所の壱岐男が鷹爪発足から約3年近く経って初めてページ上に現れ、参加開始。
鷹爪が初めてドメインを取得し、トップページ、ロゴが初めてデザイナーの手によりデザインされる。
ドメイン取得による新サーバへの移行が始まる。
新宿にてデビ狂、ミヅカミ、スターリンで人民大会を開き、会の健在をアピールする。
野本氏の名曲「南海ファンやもん」を含む新作CDの発売が発表される。
デビ狂が野本氏にコーラスに誘われるが時期的な問題で断念する。
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| 00年初冬 |
1月、新サーバdejawebの接続状況が悪く、アクセス数が激減したため、サーバ移転を決定する。
2月、鷹爪最強のhtml、マスターピースがスタート、絶賛を浴びる。
新サーバさくらネットへの移行が開始される。
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| 00年春 |
3月、鷹の爪のトップページカウンタが30万ヒットを記録する。
鷹の爪の自主制作音楽CDが発売される。
「南海ファンやもん2000」の自主制作CDが発売される。
4月、レナードが新スタッフとして参加する。
マスターズ(meiryu、kopf ap!)によるコラムがスタートする。
5月、そかよんが3年半ぶりに復活する。
レナード参加第一弾コンテンツとして熱狂ファン掲示板がスタートする。
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| 00年夏 |
6月、局長とデビ狂の東京会談が行われ、東京ドームで加藤が滅多打ちを食らった試合などを見る。
鷹爪の守備範囲を拡大する声に応え、各球団掲示板を作る。
熱狂ファン掲示板にサイトー氏が参加する。
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| 00年秋 |
10月、4周年記念行事の一環としてトップページをリニューアルする。
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